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2006.05.27

アンネ・フランク

Anne_frank_1
写真 wikipwdiaより

アンネ・フランクは1929年6月12日、オットー・フランクとエディスの二人目の子供としてフランクフルトで誕生。しかし彼らはユダヤ系ドイツ人であったためヒトラーのユダヤ人迫害に危機を覚えて1933年一家でアムステルダムに移ります。

アムステルダムにはアンネ・フランクが10年近く住んだ家2年間隠れ住んだ家があります。どちらも今でも残っています。最初に住んだ大きな集合住宅は、きっと当時ではとてもモダンなものだったのではないでしょうか。
そこに住んでいたときの1942年6月アンネ・フランクは13歳の誕生プレゼントとして、すぐ近くの店(ここも現存)で購入したチェックの表紙の日記帳をもらったそうです。これがきっかけとなって、「アンネの日記」が残されることになったのですね。

しかしオランダでもゲシュタポのユダヤ人狩り(ひどい言葉です)が激しくなり、同じ年の7月、アンネの父オットーは家族を事務所の奥の部屋にかくまいます。入り口は動く本棚でカモフラージュされていたそうです。
アンネ・フランクの公式ページの写真を参考にすると、この細長い家の奥のピンク色に見える屋根の下で隠れ住んでいたのではないかと思います。
家の南のほうに大きな西教会が見えますが、隠れ家の屋根裏部屋の小窓からこの教会が見えたそうです。上からだとはっきりしませんが、影を見ると、教会に高い塔があるので、この塔はよく見えたのかもしれませんね。

1944年8月4日、突然この隠れ家の生活も終わりました。密告によって発見され、一家はオランダのウェステルボルクの収容所からアウシュビッツに移され、その後は家族はばらばらになり、アンネは姉のマルゴーとドイツのベルゲン-ベルゼン収容所に移されました。1945年2月から3月にかけてアンネとマルゴーは相次いでこの収容所でチフスで亡くなったのだそうです。英国軍によって収容所が解放されるのを目前にして。
結局、戦後まで生き延びることができたのは父、オットー・フランクのみで、後にアンネの日記を世に出しました。

060527_1  060527_2  060527_3

Google Earth用ファイル(060527.kmz)

最初に住んだ集合住宅  52.3452893138, 4.90088048143
日記を買った店  52.3447967112, 4.90080390019
隠れ家 52.2707217837, 4.54930107931
西教会 52.3745739604, 4.88376777856

アウシュビッツ  50.066672837, 19.3500171407
ベルゲン-ベルゼン収容所跡 52.759330271, 9.90638700183

フランクフルト 50.130001, 8.668167
ウェステルボルク  52.8567681817, 6.61321189878

参考にさせていただいたサイトへのリンク
the official Anne Frank House website
ANNE FRANK DIARY REFERENCE
Wikipedia アンネ・フランク

 

 

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コメント

hitora-wanadeyudayazinngarinannteosorosikotowositanodesyouka/hidosugiru\annnewasonnnajoukyoudeyokuganndatttoomou

投稿: アンネ | 2009.08.03 17:33

本当に恐ろしい歴史があったものだと思います。ヒトラーの時代に限らず人間は戦争とか特殊な状況におかれると、悲しいことをしてしまうものですね。
大人の権力への欲望で、アンネのような悲しい人生を子供たちが生きるようなことが絶対ない世界であってほしいと本当に思います。

投稿: Bugsからアンネさんへ | 2009.08.03 23:46

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