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2006.03.16

卒業式

卒業式のシーズンです。
今頃になると、友人たちの家の誰かが卒業や受験等で、気をもんだり喜んだり。来年は我が家もやきもき。その中でちょっと考えさせられることがありました。

友人がメールでミッション系の私立学校の卒業式での校長先生の式辞を紹介してくれました。

勉強することの意味とはなにか。

寅さんのセリフを引用された上で、
さいころの目に決めて貰ったり、占いやおまじないに頼ったり、誰かに流されてしまうのではなく、勉強することによって、自分で考え判断することができるようになり、そのことによって人は自由になる。これこそが勉強する意味だということ。

そしてその自由とは何かというと自分の好きなようにすることではない。
愛によって互いに仕えること、つまり、他者への奉仕のために自由を使うことこそ真の自由です。

ガラテヤの信徒への手紙5.13~14
兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。

あまりにも短く要約してしまいましたが、このようなお話をされたそうです。

これからますます勉強をして社会に巣立っていく子供たちに向かって素晴らしい式辞だと思います。「自由を愛によって支えあうことに使う」という事はたやすいことではありませんが(本当に自戒を込めて)、このような精神が多くの人の根底にあるならば、最近のいろいろな事件は起こらないですんだと思います。
このようなお祝いの言葉を受けて巣立っていく子供たちは幸せですね。

 

◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
 
 

翻って卒業式といえば近年公立の学校の日の丸掲揚、君が代の起立斉唱が強制化され、先生方への監視や処分が厳しくなっているそうです。

日の丸や君が代の問題は単にお行儀や「愛国心」のあるなしの問題ではないと考えています。
たとえ少数でもさまざまな理由により起立しないほうを選ぶ人たちがいます。そしてそう選択する自由は日本では守られているはずなのに、自由とは言い難くなっている現実があります。

子供たちにとって大事な卒業式、場を乱すような騒動は論外ですが、自分の信条にしたがって「静かに立つこと」と「静かにすわること」、これらの権利が同じように認められる社会であって欲しいです。特に「人として自由を得るために自分で考え判断することを学ぶ場である」学校でこそ。

律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。

隣人の様々な立場や価値観を認めることなく定められたルールは場合によっては弾圧へともつながりかねません。これからを生きる子供たちの親として、守られるべき自由が脅かされない社会になって欲しいと祈ります。

ちょっと照れるが、大事なことだと思うので自分のために書き留める春の宵。
 
 

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